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自分の痛みにも人の痛みも鈍感だ。
自分で痛みに気付くのは涙を流した時、少しの振動で溜まっているのもが流れ出る感じ。
それの繰り返しで私は痛みを見ないようにしていた、傷ついたものは嫌いだから。
蓋をしていた、傷を黙認しては、血を流し続けている。
今もそうだ、胸が苦しくなって鼓動が聞こえて力になれないだろう自分に絶望している。
人は簡単に傷つき涙を流し血を流し・・・。
人間ほど単純で複雑な動物もいないだろう。
たった一言が人を変えもし壊しもする。
どうしてなんだろう高等な動物であるはずの、私たちがこうも簡単に傷付け合い血を流す。
歴史を振り返れば、血に塗られたページが所せましに並び。
平和な世もまた、まやかしでしかない。
どんなに哀しくても悔しくても自分を責めても人を責めても
たどり着く答えに変わりはないのだ。
人は人の上に立つことで満足を感じ欲求を満たしている。
いつ壊れるかもしれない山に笑って座っているのだ。
どんなに素晴らしい価値をもち合わせていても家柄、財産などで
待遇にも天と地の差があるように、世の中では価値づけがある。
たとえば履歴書、不良高の人間は結局は不良でしかない。
一人一人人間を見極め人柄を判断する有能な機械などない。
だったら、見極めの線は平均の中。
平均をとり数値を決めそれに従い人間を選抜する。
数字の中の数値でしかない物に取りつかれながら、最低限の人柄と数値をクリアしているか、それだけを懸命に見て満足しているのだ。
決められた本人はさぞ嬉しいだろう、平均から抜けた人材なのだから。
だが、数値は数字でしかない。
傷つけば、自分には合っていない。ほかの道があるなどと、逃げ出すのも居るのだ。
苦労は部屋の中で社会に出たこともない、青っ洟が泣くんだ。
傷つくそれは人の身勝手な行動のものと、叱咤激励がある。
叱咤激励は気付けば大きな財産にもなる。
身勝手な行動でのそれは、子供なのだ。
不満や不平を誰かに植え付け満足しようとしているのだと思う。
かわいそうな子供なのか?それとも苛めるのを楽しんでいるのか・・・?
人間は最も単純な生物であり。
最も複雑で混雑した動物だ。
だったら、自分は何なのか動物なのか生物なのか。
それを決めるのは自分以外ではあり得ないのだ。